編集部レポートvol .3|【2023年5月号】漁師の食卓|父とたる流し漁

川口さんが「漁師の食卓」を始めるきっかけとなった金目鯛漁師の父・章一さん。
昨シーズンを最後に漁師は引退されましたが、今回特別にお話を伺えることになりました。
ご自宅に伺うと、穏やかな笑顔で出迎えてくださいました。
早速、漁具をしまっている倉庫を見せていただくことに。

漁の話になると、章一さんの表情に輝きが増してみえる。

9歳頃から漁師の仕事をしてきたという章一さん。
ある時はエビ、またある時はマグロ漁と時には県外で漁師をしていたといいます。
金目鯛の漁が行われるようになってきたのは昭和55年ごろだそう。
金目鯛の漁は16マイル〜40マイル港から片道2時間〜8時間かけて漁場に向かいます。
時には、和歌山沖や高知県西側の土佐清水沖で漁をすることもあったのだとか。
「船に一日乗っとっても飽きんかったしえいと思っとった。家におってもすぐ港に行って状況が良さそうやったら漁に出ていきよった」と当時を振り返ります。

漁の仕掛け

室戸では、金目鯛の漁法として「たる流し漁」を行っています。
たるに針がついた一見シンプルな仕掛けとなっています。
たるは特注のもので、各漁師がそれぞれに準備するそうです。
章一さんが使っていたのは安芸の職人の手によって作られたモミの木製のたるです。

等間隔の溝にぐるりと取り付けられた仕掛け。

たるのふちに刻まれた溝にテグスの先に針を付けた仕掛けが取り付けられています。
漁の際には針を海の中に入れ、たるは海上に浮かんでいる状態です。
「一回の漁で樽は12~15組ばあ放る。20分もしたら魚がかかるき順々に回収していって…針は昔は手で(金目鯛の口から)取りよったけんど今は機械で巻き取るき、針は一回きりしかもたんのよ。」

年季が入ったたるはどれも手入れされており、大切に使われてきたことが分かる。

漁を行う上で金目鯛は海底の方にいるため、水深が深いところに仕掛けを投下します。
水深は室戸沖の海底にある山の地点では水深100mの地点、深いところでは200m〜400mになることもあるといいます。

船上にいるかのように身振り手振りを交えて話す章一さん。

章一さんは実際に使っていたたるや重りを見せてくださいました。
編集部も気分は船上で、真剣そのもの。
伝統的な漁だからこそ、こうした手しごとの道具や工夫、
自分たちの感覚が磨かれていくのだとお話を通して感じました。

川口家近くの砂浜で取材後の1枚(左から、高知大学 竹内風佳さん・柳原伊吹さん、章一さん・真穂さん)

最後に記念写真を撮り、お別れの際に「病気しなよ」と声をかけてくれた章一さん。
初めてお会いした私たちにも家族のように接してくださるその気持ちがとても嬉しかったです。
今はバトンを受け取った川口さんと室戸の漁師たちが「室戸の金目鯛」を広めるために奔走しています。
このような温かい人同士の繋がりに「漁師の食卓」のルーツを感じました。

<編集後記>

柳原伊吹さん (高知大学社会協働学部 院生)
語るときも身振り手振りを添えて笑顔で話す様子から数々の試行錯誤を繰り返してきた様子が伝わりました。
「人があれこれ言うけんど、鵜呑みに頭に入れてなかったね。自分で考えて、潮の流れや天気がどうなるかを見て漁に出る。長いこと(海に)通いよったらね、自分の感覚があるね。」という言葉にはその全てが詰まっているように感じます。

竹内風佳さん (高知大学社会協働学部 4回生)
今回の取材を経て、漁業、そして海の環境を守っていきたいと強く感じました。
それは漁師という職業が瀕している課題を深く理解したからです。まず、漁師は自然を相手にする職業。潮の流れは毎回違うため、漁師は、寝る間を惜しんで長時間に渡り漁に出て、多くの経験を重ね、独自のやり方を追求していきます。このようにして漁師は、試行錯誤をしながら自然と向き合い、技を磨いていく職業であることを実感しました。
漁師を、そして室戸を守るために、一歩ずつ進まれた「漁師の食卓」のように、今後の室戸の漁業、さらには海の環境を守るために、私も小さなことから出来ることを見つけ、実践していきたいと感じています。