学生レポートvol .5|【2023年11月号】参鍋養鶏を訪ねて(後編)

今号一緒に取材に行った愛媛大学社会共創学部山口信夫ゼミの学生によるレポートです。
まだの方は学生レポートvol .4|【2023年11月号】参鍋養鶏を訪ねて(前編) | えひめ・こうち食べる通信 (ehime-taberu.com)からお読みください。

「養鶏は継がない」そう思っていた

参鍋養鶏2代目で父でもある参鍋修一さんから養鶏場を引き継いだ3代目の昇平さん。
昇平さんは小さい頃から修一さんが鶏のお世話をしている様子を見てきました。家の手伝いとして養鶏に小さい頃から関わってきましたが、大学を卒業し、進路を決めるときは養鶏場を継ぐ気持ちはありませんでした。
大学を卒業してから上京。映像業界を夢見て活動していましたが、愛媛に帰ってきました。愛媛に帰ってきてもしばらくも参鍋養鶏場を継ぐつもりはなく…。
その間も、修一さんからの手伝いをしてほしいという電話が何度かかかってきていたそうです。
そしてある時、働きながらふと思いました。
「こんなに土地も揃い、働く材料もそろっている。これほど働く環境が揃っているところはないのではないか…」と思いました。
そこから継ぐことを決めてからすぐに、いなかパイプの求人をみて埼玉県からやってきた阿部さんと出会いました。こうして、歴史ある参鍋養鶏場は次世代へ受け継がれたのです。

えさやりが終わると鶏舎で鶏に話しかける参鍋昇平さん

あれだけ参鍋養鶏場を継ぐことを拒否していた昇平さん。しかし、私たちが取材させていただいたときは、その話が本当だったのか疑いたくなる程に鶏への愛が目に見えてわかりました。この昇平さんの優しいまなざしがあるからこそ、みんなから愛される、おいしい卵が産まれてくるのだと感じました。

「自分のやりたいこと」がここ切山にはあった

参鍋養鶏場で活動している阿部陽介さん。
阿部さんは埼玉県出身で、2020年1月から参鍋養鶏所で働いています。
縁もゆかりもない四国に、愛媛県四国中央市に、どのような経緯があってやってきたのでしょうか。
阿部さんは30歳まで地元・埼玉県で仕事をしていたものの、本当に自分がやりたいことは“生き物に関わることだ”と考え、退職しました。そして今後どうしようかと様々な求人サイトなどを見て、職を探しました。そこで見つけたのが、「いなかパイプ」で掲載していた参鍋養鶏所の求人です。
「いなかパイプ」とは、「田舎で働きたい!暮らしてみたい!」という地域外の人と、「地域外の人を受け入れたい!」という地域事業者のつながりをつくる高知県の企業で、2代目の参鍋修一さん(参鍋昇平さんの父)が後継者を見つけるために募集していました。
もともと動物が好きだった阿部さんは、動物と触れあえるお仕事をしたいと思っていたこともあり、人にも鶏にも優しい参鍋養鶏場に惹かれたそうです。
しかし、四国との縁も全くなく、最初は愛媛県に行くかどうか悩んでいたそうです。
そこでご両親に相談すると「やりたいことをやってみなさい」と背中を押してもらって参鍋養鶏所に行くことを決意。
最初はお試しとして2週間限定で活動を開始しました。

「生き物に携わる仕事に就きたいと思った」と当時を振り返る阿部陽介さん

しかし、後継者がいないと思って訪れたら…なんと修一さんの息子さんである昇平さんがUターンしており、すでに後継者に決定していました。
そして昇平さんが最初に言った言葉が「地獄へようこそ、、(養鶏はハードだぞ)」だったそう。
思わぬ出来事が起こってしまいましたが、ここから阿部さんの参鍋さん親子と鶏との山での生活がスタートしました。

偶然のタイミングが揃ったから今の参鍋養鶏がある


昇平さんはそんな阿部さんを初めは「こんな田舎に来て働きたいなんて物好きな人だな」と思ったそうですが、今ではお互いが業務や精神的な支えになっているのだとか。
「あいつがいるから」と心が折れそうな時も何とか頑張れていると話してくださり、支えあいながら毎日全力で鶏と向き合っているのだと感じました。
今回の取材の中で最も印象的だったのは、昇平さんも阿部さんも鶏への愛情がすごい!!ということ。
実際に私たちも養鶏場に入らせていただいて、鶏を近くで見させていただきました。
普段関わることがなく、鶏たちのつつきや鳴き声にびっくりして少し怖かったです…。
しかし阿部さんは「普段餌をあげている時でも後ろから蹴られたりするんです笑」と笑いながら話しているのを聞いて、本当に鶏たちが好きで、愛情をもって鶏たちを育てているのだと感じました。